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お手軽な充実感
お手軽な充実感

 不景気になるとアルコールやギャンブル、買い物などの依存症が増えるという。また、大規模な災害にあった被災地では先行きの見えない大変な生活のなかで、やはり同じような病理が増えるという。
 依存症というのは、人に依存的であるという性格の話ではない。ある行為をすると自分や周囲の人が被害にあうと、「わかっちゃいるけどやめられない」状態をさす。

 面白い映画がある。「お買い物中毒な私!」(2009年、米国)で、ニューヨーク在住の25歳の女性が買い物依存症者として登場する。レベッカ(アイラ・フィッシャー)である。彼女には能力もあり、雑誌記者としての上昇志向も持っている。しかし、彼女は何かしら理由を見つけてはショッピングに明け暮れる。その買い物への衝動が強すぎて、滑稽にさえ見えてくる。ハタからすればダメな買い物中毒行為であるが、当人からすると、それは自分を勇気づけ、自分を活躍させようとする前向きな気持ちに強く結びついているのがわかる。

 この物語のヒロインは、仕事生活はどんどん成功している。しかし、買い物依存症も続き、生き方もますますギャンブル的になっていく。見た目の成功とは裏腹に、実は危なさも増していたのである。そして、成功のピークを迎えつつあるときに、借金と嘘で塗り込められた生活を暴露され、どん底に突き落とされてしまう。

 このような体験は、彼女にとって自分の生き方を変えるチャンスでもあった。彼女は、所有していたブランド品を売りはらうことを決め、それを実行することで、事態は急展開していく。親友とも、恋人とも関係を回復し、借金返済も成し遂げていくのであった。

 ところで、そもそも買い物をすること自体は素晴らしい行為であり、何の問題もない。それがどこでどう間違うと依存症という病理になってしまうのだろうか。こうしたことはアルコールやギャンブルでも同じことで、どこまでが趣味や嗜好の範囲で、どこからが病理なるのであろうか。

 私は思うのだが、現代は、複雑化して、目的の見えない時代である。人びとは自由をおう歌しているが、それゆえ自分で人生の目的や生きる目的を探さなくてはならない。よほどの人でないかぎり、日々、自分の人生の目的を意識することは難しい。
 こうした状況に耐えかねて、いわば手段を目的にすり替えてしまうことが起きる。買い物も本来手段として機能するものだが、それをすり替えて、買い物行為自体を目的とするようになると、幻想的ながら生きる達成感を強烈に、そしてお手軽に味わえるのである。このように手段が目的に転じたとき、病理が始まるのである。

 私たちは、困難な状況に遭遇したときには、こうしたお手軽な達成感や充実感の誘惑には気を付けなければならない。なぜなら、必ずしも買い物やアルコールというわかりやすいかたちではやってくるわけではなく、その誘惑は巧みに、多彩にやってくるからである。

(by けい)

(参考)
映画DVD「お買いもの中毒な私」(2009年)
発売:ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント

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