【学長メッセージ】2023年度入学式式辞

学長メッセージ

「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召しだされたのです。」

聖書:ヨハネによる福音書15:16
ガラテヤ5:13

小池茂子 学長
小池茂子 学長

 この度、聖学院大学に入学を果たした新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。そして大学院にご進学のみなさん、おめでとうございます。入学生をこれまで見守ってこられた保護者やご関係の皆さまにも心よりお祝いを申し上げます。聖学院大学の教職員・先輩の学生たちを代表して、私どもが創り出す学びの場、研究の場に今日からみなさんが新しいメンバーとして加わってくださったことを心から歓迎いたします。

 この3年余り、私たちは新型コロナウィルス感染症拡大によって、多くの制限の中で生活することを余儀なくされてまいりました。この3月半ばにマスクの着用は個人の判断となり、GW明けにはコロナ禍における制度的な規制が解除されることとなりました。行動規制からの解放という「自由」のありがたさを多くの者が実感している今、ここに改めて「自由」について考えてみたいと思います。

 「自由」には二つの用いられ方があるといわれます。その一つは「解き放ち」に通じる「~からの自由」であり、それは自分以外の存在によって自分の活動が「干渉されたり」、「拘束されたり」、「妨害されたり」することのない状態を意味します。今回の行動規制の解除がよい例となります。もう一つはもっと積極的な意味を持つ自由で、外からの力に縛られないで、自分が自分の意志に則って行動することができるという意味での「自由」です。これは私のことですが「家族の中に誰もクリスチャンがいなかったけれど、決心してキリスト教の洗礼を受けた。」がその一例です。しかし、よく考えてみますと、外からの力に縛られないで、自分の立てた規範に従って行動することに通じる「自由」は、時に私たちに不自由さを感じさせる面をもっています。

 みなさんは、大学進学に際し「これからは、自分の思うように夢に向かって多くの学びや経験を積んでいきなさい。」と周囲から言われておられるでしょう。しかし、だれかが何かを決めてくれないと、自分では何をやってよいかが分からないと、漠たる不安に駆られている方もおられるのではないでしょうか。高校までみなさんにはクラス担任がいて生活や進路指導に当たってくれ、授業についても学習指導要領に定められた内容を学べばよいという生活を送ってこられました。しかし、大学の学びは、カリキュラムの中から自分の希望する科目を選択しそれについて学んでいくという点に、高校時代とは異なる学びの在りようがあるのです。また、大学院に進まれたみなさんには、自らの立てた研究課題や仮説をルールに従い、自らの力で実証していくという自律的な学問探求者としての在り方が求められていくのです。

 大学入学を機に、自分の意志で学びを選択し、あるいは研究していくという「自由」が与えられた一方で、この「自由」は、誰かに決めてもらってそれに従う従属的な生き方を否定し、自分の意志で道をひらいていかねばならない「不自由さ」を私たちに感じさせるものでもあるのです。しかし、心配しなくても大丈夫です。みんな最初から、自分の意志で学びを選択し、迷いなく自分の学びを進めていくことなどほとんどありえないのです。迷いながら、これから始まる授業の中で、教授陣から示される「新しい知識」という光の下で、みなさんは世界や社会、人間が作り出した文化や自分自身の姿を検証し、必要な修正を加えながら、真理やあるべき姿を探究していくという新しい学びの世界に徐々に入っていけばよいのです。これからみなさんは、授業やゼミ等を通じて、これまで知らなかった知識や自分とは異なる考えに出会い、自分の世界が広がるワクワクするような経験をされることでしょう。また、他者との議論や対話を通じて、時に傷つきながらも学ぶことを手放さなかった者には、大学教育を受けたものにふさわしい思考力や対話力が身についていくのです。さらに、実習、ボランティア活動や国内外の研修といった体験的な学習や、部活・サークル活動は、それぞれが経験に裏付けられた知識を獲得し、多様な背景を持つ人と協力して物事を成し遂げる力や喜びを育む機会となるでしょう。大学で学ぶ知識に加え、人との交わりを通じて培われる人間性や、対話力、共感力、行動力といったこれらの総合的な能力こそが、私たちの人生を支えてくれる「生きる力」となっていくのです。ですから、みなさんには新たな学びや授業以外の諸活動にも、積極的に挑戦していただきたいと切に願います。

 12世紀に起源をもつとされる大学の教育機能は、第一に、社会にエリートとして出ていくものが身に付けるべき教養教育を行うこと、第二に、教養の上に職業に必要な専門的な知識・技能を提供すること、第三に、高等教育を修めた人間にふさわしい人間性を養う教育機会を提供すること、第四に、学問を修めたことを証明する学位を授与することにありました。

 今日、大学教育が大衆のものとなる中で、大学の教育機能も多様なものとなっていますが、中でも、大学が歴史の中で重視してきた人格形成に関する教育、即ち、自分の能力や、時間や労力、財を他者や社会のために差し出せる人間性をもったリーダーを育てるという使命を、今日の日本の大学は果たしているといえるでしょうか。

 私どもの大学が属する学校法人聖学院は、明治時代にアメリカからキリスト教布教の願いをもって来日した宣教師たちによってその基礎が築かれました。そして今年の10月に学校法人は120年を、この大学は創立35年を迎えます。私どもの大学は「神を仰ぎ 人に仕う」という教育モットーを掲げ、学問的研鑽に加えキリスト教に基づく人格教育を行って参りました。聖書は、神の愛を知ることで人間は真に自由に生きることができるのだと教えます。先に読んでいただいた新約聖書ガラテヤの信徒への手紙第5章13節以下にあるように、聖書は神が私たちに与えた「自由」を自分の欲望を満たすことに用いるのではなく「隣人を自分のように愛しなさい」と、愛をもって互いに仕えることを説きます。この聖書の問いかけを、大学生活の中で心に留めて考え続けていただきたいと思います。

 私たちが生活している社会は「先の見えない社会」という言葉で形容されます。新型コロナウィルスのパンデミックの果てに、人の交わりが絶たれ人間が孤立状態に置かれた状況がいまも続いています。また、21世紀にこんなことが起こるとは誰も思いたくなかった悲惨な戦争や紛争が続き、高度な機能を持つAIの登場は人間の存在価値を根底から揺さぶります。持続可能な社会の実現に向け、世界規模での問題解決に向けた連帯や行動が求められていますが、私たちはどう生きればよいのでしょうか。「どうせ自分にはどうしようもないことだから」と言って、考えることをやめてしまうのは「自由」を手放すことに通じるのです。大学に学ぶ私たちは、悲惨な現実を前にして現実から目を背け、自由から逃避するのではなく、「知識」を私たちの目を外に開く窓として、暗闇を照らす光と頼みながら、自分や世界や社会の在りようについて、学び、考え、ささやかであっても自らの意志で他者や社会のためにできることを実践していくべきだと思います。

 私どもの大学は、今年度もアジアを中心とした諸外国からの留学生を迎えました。今ここに大きな夢を胸に抱き、国境を超えて本学において学ぼうとされている留学生のみなさんを、心からの敬意をもって迎えます。新約聖書ヨハネによる福音書第15章16節には、「あなたがたが私を選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」と記されています。留学生のみなさんにとって、キリスト教の教えは馴染みのないものかもしれませんが、聖書的に言えば、私たちはこの学び舎に神によって集められた者たちなのです。一人ひとりの背景を生かしながら、国籍や文化の違いを越えて真理の探究に向かって今日からともに学んでまいりましょう。

 本日の入学式には教職員や在校生、来賓のみなさまが、これから始まるみなさんの学生生活が実り多いものになるようにとの祈りと願いをもってこの礼拝堂に集ってくださっています。みなさんを応援し、伴走してくれる多くの者たちがここにいることを忘れないで、自信をもって新たな生活に歩みを進めていってください。最後に、今日から始まるみなさんの新しい生活の上に、神さまの豊かな祝福とお守りがあることを祈っています。本日は、まことにご入学・ご進学おめでとうございます。

2023年4月8日
聖学院大学 学長 小池茂子

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