政治経済学科 学科長メッセージ

学科長メッセージ

政治経済学科長 石川裕一郎

 人・モノ・カネがいとも容易(たやす)く国境という壁を超えて流通する、現代のグローバル社会。しかし、その一方で、この社会の至る所に深い分断線が引かれています。「富める者」と「貧しい者」、「日本人」と「外国人」、「男」と「女」、「健常者」と「障害者」、「異性愛者」と「同性愛者」...。資本の論理は自由自在に世界中を駆け巡るのに、肝心かなめの「人間」の間には様々な分断線が引かれているこの現状を、私たちはどのように理解すればよいのでしょうか。

 また、奇しくも「平成」が始まった年に起きた「ベルリンの壁崩壊」に象徴される冷戦終結の際、多くの人はついに自由主義と民主主義が勝利したと考えました。しかし、それは同時に、自由競争と表裏一体とされる「自己責任」論と、多数派が数の力で少数派を圧殺する「数の論理」の横行をこの世界にもたらしました。自由主義と民主主義がもたらしたこのパラドクスを、私たちはどのように理解すればよいのでしょうか。

 さらに、貧弱な社会保障と根深い女性差別によって半ば必然的に「少子高齢社会」と化した日本を含め、多くの先進国は、その不足した労働力を発展途上国に求め、あるいは求めようとしています。しかし、外国人労働者は単なる「労働力」ではなく、一人ひとりがかけがえのない「個人」であり、尊厳をもつ「人間」です、その当たり前のことが、この世界ではともすれば忘れられ、時に彼らは憎悪と排除の対象になりがちです。とくにこの国は、先進国としてはケタ違いに僅かな数の難民しか受け入れていません。経済のグローバル化と裏腹にいま世界を覆っているこの不寛容を、私たちはどのように理解すればよいのでしょうか。

 さて、上で挙げた3つの問題意識は、突き詰めると「いかに一人ひとりがその尊厳を守られる社会を構築するか」という問いに帰着します。それは、おそらく国際社会から地域社会、学校・職場・家庭まで共通している課題だと言えるのです。どのようにすれば、すべての人がありのままの存在として敬意を払われ、共存できる社会が構築できるのでしょうか。

 ここで学問の出番です。上に挙げたアポリア(難問)には、今のところ正解はありません。私たち大学の研究者にも正解はわかりません。しかし、難問だからこそ取り組みがいがあるというものです。そこに学問の抗い難い魅力があります。学問は、長年にわたりこれらの問題に取り組んできました。その取り組みの集積が、いくつかの学問分野を構成しています。そのうち政治経済学科が主として扱う学問分野が、政治学・経済学・法律学・社会学・経営学・情報学の6分野です。それらを横断的に学べるのが政治経済学科の魅力です。

 最後に、大学は、社会の常識を教える場ではなく、社会の常識を疑う場です。今までのルールを教わる場ではなく、今までのルールが妥当かどうか批判的に再検討する場です。あらゆる政治権力からも経済権力からも自律した(憲法23条にいう「学問の自由」が保障された)場である大学の役割は、今のような時代だからこそその重要性を増しつつあると言えます。皆さんもこの政治経済学科で、現代社会が直面する難問の数々について自分の頭で考え、「その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与」(学校教育法83条2項が定める大学の使命)するという崇高な営みに携わってみませんか。