中国での日本語教師の経験を活かし、日本語教育の学びを深めるため大学院へ

2008年に聖学院大学日本文化学科を卒業し、中国の大連外国語学院(大学)で4年間の勤務の後、帰国して中学校の教員を短期間ながら経験するなどしていた三井一巳さんが、この秋から早稲田大学大学院へ進学されることになったとのことで、大学に報告に来てくれました。在学中のこと、中国でのこと、今後のことなどいろいろ取材させていただきました。

中国の大連外国語学院(大学)への就職、日本語教師としての仕事

三井 一巳 さん(日本文化学科2008年卒業)

大連外国語学院にて 学内でのスピーチ大会総評の様子
大連外国語学院にて 学内でのスピーチ大会総評の様子

─卒業後、中国で日本語教師として勤務されたキッカケや、現地での話などをお聞かせください。

 知り合いのいない中国で就職して、たった一人で4年間を過ごしてこられたのは、大学在学中の留学の経験や留学生との交流が、自分の勇気や力になったのだと思います。

 就職のキッカケは日本語教育の実習で一緒だった大連出身の留学生と、一緒に中国へ行く機会があったことです。その機会を利用して、日本語教師として就職活動をしてみたところ、不思議な縁があって大連外国語学院を紹介していただき、トントン拍子に話が進み、なんと見学に行ったその日に就職が決定しました。

 自分の中では3年間と決めていたのですが、仕事は楽しかったし、自分が教えていた学生に、期待されたり慕われたりして辞めるに辞められず計画より1年間長い、4年間の月日を大連で過ごすことになりました。

 大連外国語学院で担当した科目は「会話」と「日本語概論」でした。「会話」では、ことわざや早口言葉などのアイスブレークをうまく取り入れ、場を温めてから授業に入り、それが好評でした。「日本語概論」はなかなか難しく、学期末の試験では合格率が低いことで有名な授業です。しかし私が課外活動で担当していた「スピーチ部」の学生たちは日頃の特訓で日本語の理解力が上がり、全員試験にパスしてくれたのがうれしかったです。

卒業後も ‘面倒見のよい大学’

大連外国語学院前にて スピーチ大会予選へ向かう日の集合写真(後列右から2番目が三井さん)
大連外国語学院前にて スピーチ大会予選へ向かう日の集合写真(後列右から2番目が三井さん)

帰国後はどうされていましたか?どうして大学院進学を目指されたのですか?

  大連から帰国した後も、聖学院大学の先生方に相談させていただきました。

 私が聖学院大学へ進学しようと思ったのは、大学案内にあった「日本語教師」という単語にピンときたからです。「日本語教師」という興味深い職業があるのかと思い、私はすぐに調べました。

 それから、「面倒見がよい」という言葉にも反応しました。私は実はとても甘えん坊で、優柔不断なので、面倒見がよい大学が自分に向いていると思ったのです。

 「卒業後まで面倒を見てくれる」という内容のことが書かれていたのが印象的で記憶に残っています。まさしく私も卒業後に先生方に何度も面倒を見てもらっているので、全くその通りだったと実感しています。

 大連から帰国して、日本で就職をするか大学院へ進学するかで迷っていました。当時どちらかと言えば、大学院へ進学して日本語教育の学びを深めたい気持ちが強かったと思います。日本語教育を学ぶにはどこの大学院がいいかについては川口先生からアドバイスをいただきましたが、同時に大学院の入試の難しさもうかがっていました。

 進路について結論が出せないまま、熊谷先生にも相談をしたところ、「それでは少し目先を変えて国語の先生をやってみてはどうか」と病欠の代理として中学校を紹介いただき、短期間ではありましたが勤務させていただきました。そして、中学校の教員を経験して、やはり日本語教育を選びたいという自分の気持ちに気づき、大学院進学を決意するに至りました。

 その後、入試準備として早稲田大学大学院日本語教育研究科の公開講座へ毎週出席しました。その講座を通じて仲間ができて、情報交換をし、励まし合いながら共に大学院進学をめざしました。大学院入試のための小論文記述の書き方指導まで川口先生にしていただき、卒業してから6年も経っているのに、想像以上の面倒見のよさに驚くばかりです。

中国から帰国直後も、川口先生を訪ねて大学まで
中国から帰国直後も、川口先生を訪ねて大学まで

川口先生と熊谷先生の名前が登場しましたが、在学中は先生方とはどんな関わりをされていたのですか?

 私はいろいろなことに興味を持ってしまう好奇心旺盛な性格で、在学中は「日本語教育」と「国語教育」の2つのゼミに所属していました。

 川口先生は「日本語教育」のゼミの先生。留学生の所属が多くて非常に国際的なゼミでした。

 熊谷先生は「国語教育」のゼミの先生。卒業して6年経過した今でも飲み会の連絡が入ります。飲み会にはなんと1期生から現在の所属学生までが集まります。そして私は実は1期生の学生なのです。

日本語教育を通して、日本の文化や日本語の美しさを世界中のたくさんの人たちに伝えていきたい

─大学院進学後、修了後のビジョンをお聞かせください。

 私は好奇心に駆られて行動をしてきた中で、聖学院大学の先生方をはじめ、たくさんの方々に助けられてきました。

 これまでは、どちらかといえば巻き込まれながら生きてきた感じですが、これからは私が周りの人を巻き込んでいきながらビジョンを実現したいと考えています。

 私がめざしていることは、日本語教育を通して、日本の文化や日本語の美しさを世界中のたくさんの人たちに伝えていくことです。

 日本語教師というのは、留学生などの外国人が最初にふれあう日本人です。日本語教師の言動一つによって日本を好きになるか嫌いになるかが決まることもあるでしょう。担うべき役割は大きく、責任は重大です。そうしたことを認識して、世界中の人々とのつながりを増やしていける教師になりたいと思っています。

 聖学院大学の先生方や留学生、大連外国語学院時代の同僚、学生たち、いろんな方々に支えられて私の今があります。私のこれからの人生はそうしたみなさんへの一生をかけた恩返しだと思っています。

─受験生や日本語教師をめざす後輩たちにメッセージをお願いします。

 皆さんが興味を持ったことがあれば、怖がらないでのぞいてみてほしいと思います。どんどん外国人の方とも話をしてみてください。行動はきっとみなさんの人生を変えることでしょう。

 受験生のみなさん、聖学院大学のオープンキャンパスに参加したら、とにかく先生と話してみてください。悩んでいること、迷っていること、不安、なんでも相談してみてください。聖学院大学の先生方はそうした相談を全部受け止めて、本当に親身になってくれるということをきっと実感できると思います。


大連外国語学院での思い出の写真

スピーチ部での浴衣体験/スピーチ大会予選へ向かう日の集合写真/
屋外でのスピーチ練習/学内でのスピーチ大会総評の様子/

※写真は三井さんよりご提供いただきました。クリックすると拡大表示されます。


 

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