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学長からのメッセージ

 故松川成夫第3代学長への弔辞

   聖学院大学全教職員、学生、お世話になった全卒業生を含む聖学院の全関係者を代表して私は、松川成夫先生のご召天を悼み、ご遺族の皆様方に心よりお悔やみを申し上げるとともに、この追悼礼拝をご用意くださった東京女子大学と先生が生前に喜びをもって籍を置かれた日本基督教団千歳丘教会と十時英二先生はじめ教会員のご一同に心より敬意をあらわすものであります


  松川成夫先生は、1994年(平成6年)に増設間もない本学人文学部児童学科教授として東京女子大学よりご着任くださいました。先生のお名前は、当時政治経済学部の助教授であった私のような者でさえ存じ上げており、学内教育改革のためご一緒に同じ委員会で同労の光栄に浴すことが多くありました。その後先生は1999年(平成11)年に本学の第3代学長に選ばれ、その当時私は大学チャプレンとして先生の学長ご就任を心より喜んだ者のひとりでした。私は、先生が学長としてお力を最大に発揮されることをお支えすることを待ち望んでおりました。その第1日目、4月1日の入学式・学長就任式の時に、壇上で隣に座っていた私は先生の異変に気づき、式を守りながら病院、ご家庭その他へのご連絡等で、大変動揺したことをきのうのことのように記憶しております。それでも私は先生のご容態を楽観しておりました。しかしやがて、先生が大変な試練を迎えられたことを知らされた時、私自身衝撃を受けました。その後、ご病気の先生をお見舞いし、また数年後に大学チャペルが完成した暁には、ご家族やヘルパーの方々とともに本学まで移動式寝台でお越し下さった先生に触れることができました。


  先生のお姿に接しながら、私には一つの想いが湧いて参りました。試練を迎えられる3年前に、先生がイギリスで客員研究員として当地で出会われたオーストラリア人のジョン・ハル氏の書'Touching the Rock'を訳され、『光と闇を超えて』との邦題で出版されました。その内容は痛ましいながらも素晴らしいものです。著者が目の光を次第に失っていく事実、その事実を著者自身が、そして愛する家族がどう受け容れていくかの静かなしかし凄まじいまでの内なる戦いの書でした。目が見えなくなることを、喜んで受けとるべき神からの贈り物などと、妥協的に考えない著者です。この本の最後は、ごくわずか見えていた最後の光の感覚がうすれ、暗い円が自分を征服し、深い海の奥底に沈みこんでいくのですが、それから長いトンネルを経て、絶望のはるか彼方の「岩にやっと手が触れる」道を知る様が描かれていきます。正にTouching the Rockなのです。そしてa Rock でなくthe Rockなのです。ハル氏は、この岩とは何か、はっきり書いておられませんが、松川先生はあとがきの解説で、少し前の章を引用され、それは、イエス・キリストの与える平和であると確信されておられます。そして、長いトンネルとは、暗黒の中で岩をまさぐる旅であり、神への旅なのだと記しておられます。当時大きな感動をもって読ませていただいた本なのですが、私は松川先生が何故この本を訳されたのですか、いかなる内的迫りをいだかれたのですかと、先生に問いかけようと思いつつ、その機会を失ってしまいました。しかし、次第に察しられました。やがて迎えねばならない大きな長い暗いトンネルへの旅立ちのご準備として、ハル氏の書を訳す作業を、神は先生に託されたのだと。そして同じような試練を迎えねばならないであろう、多くの人々への励ましとして、先生ご自身が証し人として追体験すべく、先駆けとしてこの書を採り上げられたのだと。


  その後、暗く長いトンネルの旅の中で、先生は2001年に『教育への根底にあるもの―キリスト教と教育についての小論集―』をご次男の節様のご尽力のもとにまとめられます。これも先生の教育思想、キリスト教人間観の良く出ている珠玉の本です。この中に試練に遭われる文字どおり直前に、青森県十和田市でなされた「開拓の申し子稲造―その魂と言葉の世界―」という講演の草稿が載せられております。


  そのご講演の要点は、第一に新渡戸稲造がメリー夫人との間に与えられた愛児遠益(とーます)を早世させてしまった悲しみ、彼自身の働き盛りの時に直面した闘病生活とどのように取り組んだかが描かれます。稲造は次のような俳句や短歌を詠むことによって自らを振り返ります。


?@ 急ぎゆく 足にふまるる 露の珠(《拙訳》生垣の外には人々の往来があるが、自分は人々に知られずに踏まれ消え行く朝露のような者だ。朝日に輝ける露なのに。)
?A 沖遠し 見るも波立つ 我心 しばしな吹きそ 秋の山風(《拙訳》自分が将来なすべき志は、沖の遠い海原のように広がりゆくが、私の心には秋風が吹き込んで来る。)
?B 沖遠く もれいずる月の さやけさに ろかいもとらじ 波のまにまに(《拙訳》沖遠く広がりゆく志が達せられないままであるが、その沖まで照らす名月に見ほれ、舟を漕ぐのも忘れて、今や波に揺られるままに、あるがままの今を受け容れている。)


  稲造は次第に「人生の目的は仕事をなすのではない、事をなすよりも自分の精神がいかなる態度にあるかの点に重きをおくべきである」ことを知っていくのです。家族の死や自分の病もまた彼の著書のとおり「神による『修養』」であったのです。


  第二に、稲造の開拓の精神を称揚します。稲造自身、開拓の精神を次のように述べます。


?@ 苦しいぞ、開拓は。苦しみを避けたい者は直ちにここから安全な所へ去れ。
?A 儲からぬぞ、開拓は。金儲けがしたい者はここへ来ない方が良い。
?B 誉められぬぞ、開拓は。人様の名誉に与かりたい者、初めより手をつけぬ方が良い。


  稲造は父祖三代より受け継いで、三本木地方の荒野の開拓に、とことん打ち込みますが、次のような歌を詠みます。「奥山の おどろが下を ふみわけて 道あるよぞと 人に知らせん」。ここから先に道がない、歩いて進めない、と人々が言う時に、「いや、おどろが下に、実は行ける道があるではないか」と逆に人々に知らせ、自ら耕していくのだと。


  そして松川先生は、この稲造の開拓の精神こそ、実は教育の精神に繋がるものであったのだと、言われているのです。未開の土地の開拓は、そっくり若人の心の開拓へと繋がり、これこそ教育の精神なのだと言われるのです。土地の耕作が、良い種を選び、雑草を抜いて少しでも改良した土にまき、鋤と鎌で良くケアすることであるとすれば、あの旧約聖書の言葉が思い出されます。「剣を打ち代えて鋤とし、その槍を打ち代えて鎌とし、国は国に向かって剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ書2章4節)。この国際連合の本会議場に掲げられた聖句こそ、その前身の国際連盟活動をとおしての稲造の平和思想の根幹であるとともに、松川先生の教育思想の根源であります。


  ここで松川先生とご遺族の皆様に、私は衷心よりお詫び申し上げます。大学や教会での公務多忙は理由になりませんが、暗く長いトンネルでの岩へたどり着こうと葛藤をされておられた先生を、より多くお見舞いすべきでありました。しばしば祈り、大変気になりながらも、伺えないまま、今日に至ってしまった私には、きつい胸の痛みがあります。


  最後に、ハル氏と同じように晩年に目の光を失った方々のひとりに、ヨハン・セバスチャン・バッハがおられます。無責任な医師のため、麻酔もない時代に、やらなくてもよかった目の手術の結果、完全に失明してしまったと思われたバッハが、最晩年に少しだけ視力を回復できたそうです。夫人が「お父様、見えますか」と問うのに対して、バッハは「ああ、見えるよ。しかし主イエスのもとへ迎えられた際の輝かしい光景に比べたら、この地上のすべては何と貧しいのだろう」と応えたバッハでした。この時バッハは視力の衰えと戦いながら、あの名作『フーガの技法』の仕上げに精を出していたのです。シンメトリックな鏡状フーガなどを経て、最後の大フーガの最後の部分に不思議なBACH(ベーアーツェーハー)(シ・ラ・ド・1オクターブ高いラ)の旋律が現れ、その後突然パタッと未完のまま終わります。それはあたかも力強い御声で主が「バッハよ」と呼びかけられ、それをバッハが書きとめた後、天へ凱旋して行ったかのようです。松川成夫先生も、トンネルの中で、神が先生を呼びかけられる御声を聴きつつ、「岩に触れ」、「キリストの平和」のうちに、天へ召されて行かれたことでしょう。


  聖学院大学はお約束します。人々が生きる希望を失い、大地がすさんでいくかに見える時に、松川先生のこの教育観、生き様を継承し、未開の地を温かく耕して進み行くことを。 先生、安らかにお休みください。よみがえりの時まで。


  ご遺族の皆様方、キリストの平和のうちを歩まれますように。天国での先生との再会の時まで。


  そして東京女子大学と千歳丘教会のうえに、主の御祝福ますます豊かならんことを祈りつつ、弔辞といたします。ご清聴ありがとうございました。


注記1.本学第3代学長松川成夫先生は、1999年4月1日のご就任第1日に、全身の筋肉が次第に萎縮硬化していく何万人に一人の難病であるALSが発病し、苦しまれましたが長期にわたってよく耐え、2010年10月4日にご召天されました。享年84歳の立派なご生涯でした。


注記2.新渡戸稲造(1863年〜1933年)は東京女子大学初代学長でした。
(2010.11.06)

  
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