2007年夏、1年2ヶ月勤めた上海の日本語学校を辞め、河北省にある学校に移った。そこは50数校の大学が集まる「東方大学城」と呼ばれる「大学都市」だった。
この私の新たな生活拠点となった「大学城」、それは、名前のとおり、大学が中心となって存在している街。50数校の学校と、そこに通う学生や教師、事務スタッフなどが暮らす町。この街には銀行も郵便局もレストランやカラオケ、プールにビリヤードに・・・いろいろなものが人工的に集められた、そんな街。この街は、不思議な街だ。
9月〜1月、3月〜7月は多くの学生や店などが集まる。しかし、長期休暇中のこの街は、人もなく、多くの店も閉じ、人の生活を感じない―街全体が空になる、そんな街だ。
それまで勤めた学校は十数人の日本人教師が在籍し、日本人教師が中心となり、一日7時間の日本語の授業を行う、そんな学校だった。入学時、「あいうえお」さえも知らなかった学生も、1年後の卒業時には日本語能力試験1級相当レベルの文法および、ビジネス会話を身につけ、卒業していった。そんな学校だった。
そして現在、私が在籍している学校は、中国のとある大学と、大手のソフトウエア会社の名前を冠に持つ、3年制の学校。いわゆる日本の短大にあたる学校だ。そこの日本語学科の学生に日本語を教える、それが今の私の仕事だ。
現在の学校で私が受け持った授業、初級会話にビジネス会話、作文の授業とビジネス文書、それに日本語情報処理。そして来期は初級会話に日本概説。日本語学校との違いを痛切に実感する。
日本語学校では、日本語の文法や会話の運用力向上にのみ、力を注いでいた。「日本語教師」と呼ばれる私が、パソコンのド素人の私がなぜかパソコンの指導をしている、不思議だ。地理も歴史も公民も、社会科と分類されるものが全て大嫌いだった私がなぜか「日本概況」なる授業を持つ。不思議だ。「地理や歴史や経済や習慣、日本の概況がわかる授業をお願いします」その言葉に気が重くなる。さらに北京の本屋に行き、憤慨した。誤字脱字の目立つテキスト、明らかに間違いだと無知な私に出さえ指摘できる日本の習慣や文化、ハイレベルすぎるテキストたち・・・途方にくれる。でもそんなことはよくあることだと気を取り直す。だって私がこの学校へ来たとき渡された教科書を見たときも途方にくれたのだから。初級後半に差し掛かったばかりだという学生たちのテキストは、会話以外のテキストはみな、中級後半から上級者向けのテキストばかりだったのだから。
この夏、日本で日本語教師を夢見る後輩たちに会った。初々しい彼らを見、私もまた刺激を受ける。1年半前の私も、あんな目を、顔をしていたのだろうか。不安と期待とやっぱり不安・・・そんな顔の彼らを見、中国へ旅立つ前の自分と彼が重なる。この広い地球上で、大学の後輩だという同業者と再会の杯を交わす日もそう遠くないのだろう。この広い世界の小さな島国のとある大学で、同じものを夢見、学んだものが、異国の地で出会う、なんだか不思議だが心躍る情景。だがきっとそれも夢ではないのだろう。だって同じ大学で共に学んだ友と、お互い不慣れな北京という街で再会したのだから。
20年後の私が、世界中のどこにいるのか、まだこの仕事を続けているのか、私にはわからない。それでもやっぱり、この仕事が好きだと、この仕事を選んでよかったと言っている自分が見える。
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