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「ぼくの友だち」
「ぼくの友だち」
 

ぼくの右わきには犬が座っている。ぼくの左わきには猫がちょこんと座っている。
そして、遠くの空を一緒に眺めている。
きのう見たぼくの夢の話だ。
ぼくの家には、犬も猫もいない。
だけど、ぼくは彼らとはずっとずっと友だちだった。
目をつぶると、いつだって彼らは隣にいたし、今よりもっと小さかったころは、お母さんの膝の上で聞いた絵本の中から、彼らはぼくに手招きをしていたんだ。
お母さんは、「これがワンワン」、「こっちがニャーニャー」と僕に指さしながら教えてくれた。

 ぼくの隣にいる犬と猫は、お母さんがぼくに与えてくれたものだけれど、お母さんにその話をしても、「なにバカなこといってるの」と相手にもしてくれない。
大人になると忘れるのだなと、ぼくは思った。

 絵本の中の犬と猫は、生きているんだということ。
ぼくがちょっと心を動かせば、彼らはいつだってぼくと一緒にいろいろな冒険をするし、ぼくが困ったときに助けてもくれる、勇敢で優しい旅の仲間なのだ。

 ぼくは、大人になっても、彼らと一緒に生きていくんだと、決めている。そして、もっともっと沢山の冒険を一緒に楽しむのだ。それから、いつかぼくがお父さんになったとき、ぼくはぼくの子どもたちに、友だちとの冒険を絵本にして話してあげようと思う。
子どもたちをぼくの膝に乗せて絵本を開いたとき、ぼくと旅の仲間の冒険は、今度は、ぼくの子どもたちと旅の仲間の新たなる冒険旅行のページを開くのだ。

 旅の仲間の犬と猫は、そうやってぼくだけでなく、まだ出会っていないぼくの子どもたちの人生の大切な相棒になってくれるんだと、ぼくは思う。

(by ゆた)

解説:
 絵本を親子で楽しんだ子どもが、大人になり自分が親になったとき、かつてお母さん(お父さん)と過ごした絵本の時間を懐かしく思い、今度は自分が、自分の子どもと絵本の時間を楽しみたくなるのだそうです。楽しい絵本の時間の経験は、長い時間を経て、再び、目の前に現れてくるのです。エリクソンは、そのことを「世代性」と呼びました。そうして、文化は伝達されてゆくのです。

参考:
 石川由美子(2011)人工物(artifact)としての絵本-母親と子どもの認知発達に関する絵本の期待調査から-,聖学院大学論叢24(1),75-88.
 西平直喜(1981)子どもが世界に出会う日-伝記にみる人間形成物語2,有斐閣.

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