オープンキャンパスじゃなければ分からないものがある!(大学紹介)│聖学院大学

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阿久戸学長による「大学紹介」

2009年7月20日オープンキャンパスにて講演


阿久戸光晴学長
阿久戸光晴学長による「聖学院大学オープンキャンパス・大学紹介」講演は、“絵本”を題材に毎回違った切り口で語られる、高校生や保護者の皆さんからも大好評の講演です。今回は、7月20日のオープンキャンパスで講演された内容を、ご紹介します。


 皆さん、聖学院大学へようこそお見え下さいました。本当に心から歓迎いたします。このチャペルに初めてお越しの方には必ず申し上げておりますけれども、皆さん、天井をちょっと見ていただきたいと思います。この天井は、この聖学院大学を設計された東京大学名誉教授の香山壽夫先生が、ノアの箱舟をイメージして設計されました。嵐が全人類を襲っている、その中で将来を考えて、箱舟を作って、その中に志を同じくする乗組員、しかしこれには動物や植物も一緒だったのですけれども、そして同じ舟の乗組員として家族のように一緒に助け合いながら、嵐が過ぎるのを待って新しい世界を築いていく。こういう聖書の物語にちなんだ舟の形(ノアの箱舟)をもじって設計されたものです。2006年にこのチャペルのこの設計は日本芸術院賞を受賞しました。大変名誉あることで、私達も本当に嬉しく思います。このチャペルの中に諸君達はおられるという事をおふくみいただきたいと思います。そして、諸君達も今、私もそうですけれども、同じ乗組員である。このように思っております。

 さて、聖学院大学とは、どういう大学かということをお伝えする前に、諸君たちと一緒に考えてみたいことがあります。バージニア・リー・バートンという人の『ちいさいおうち』という絵本があります。私も絵本の面白さを最近知りました。まだオムツが取れない1歳、2歳の子たちにお話をするチャンスが与えられ、絵本を使っているうちに、絵本の中には素晴らしい内容がたくさんあることに気がつきました。この『ちいさいおうち』という絵本をご一緒に鑑賞しましょう。

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  • ちいさいおうち (岩波の子どもの本)
  • バージニア・リー・バートン (著, イラスト)
  • 石井 桃子 (翻訳)
  • 出版社: 岩波書店; 改版版 (1954/01)
  • ISBN-10: 4001151065
  • ISBN-13: 978-4001151060
  • 発売日: 1954/01


 これは抜粋ですから、半分ぐらいですけども、考えさせられる内容があると思いませんか。この小さいおうちは、元々自分の持っている個性や、自分とはこういうものだ、鉄筋コンクリートのおうちや何かとは違う、立派な個性があることを知っていたということです。しかし、この家の周りでは物凄い社会の移り変わりがありました。しかし、面白いのは、断固として、この小さいおうちは、鉄筋コンクリートや立体駐車場に姿を変えずに、木造の味わいのある家として、自分を見失わなかった。しかもそれを見出してくれた人がいたということです。孫の孫、そのまた、孫の親子です。

 私は、この本を題材にしながら、諸君達に語りかけてみたいと思いますのは、1番目として、高校生から大学生の時代にかけて、人間にはみんな課題があるということです。それは自分とはなんだろうか、自分というのは、どういう存在なんだろうか、激しい社会の動きの中で、自分を見失わないように、本当の自分として生きるにはどうしたらよいかということ。しかし、この小さいおうちはだんだん窮屈そうになり、追い出されてしまうことが分かります。居場所がないよ、出て行けと、こういうことです。しかし、人間は居場所をしっかりと発見することが大事なのです。ここで、本当の自分らしく生きられることを発見するということ、大事ではないでしょうか。居場所の探求ということも大事ですね。

 それから2番目です。もし、この小さいおうちにある欠点があったとすれば、この社会変動、ビル群、交通網を迷惑そうなことだというだけで、もし小さいおうちが考えているとしたら、ちょっと残念な事です。田舎でしか生きられないということになってしまうかも分からない。
 先日まで、ゴーギャンの展覧会があり、私達にはあまり知られていませんが、物凄く大きな絵巻物のような絵があるのです。「私たちはどこから来たか、私たちとは何者か、私たちはどこへ行くのか」という題の絵を、フランス人画家のゴーギャンは、タヒチ島で、素朴な小さいおうちのような人達をいっぱい見ながら、描いていったのです。右から左へと読んでいってほしいのです。絵はそういうふうに読むのです。左から右に読む絵や、上から下へいく絵もありますが。このゴーギャンの絵にあるように、高校時代、大学生時代の皆さん、青春期の時は、生きるということの意味、死ぬということの意味、それから、生きる力とは何かということを考えていく非常に貴重な時であります。そして、そのことをとおして、自分の本当の良さ、自分とは何かということを探求することが、あるのとないのでは決定的に違います。その理由を2番目で申し上げたいと思います。大きい2番目です。

 私は、今でも湾岸戦争という戦争があった時の光景を、その頃私アメリカにいましたが、忘れることができません。この湾岸戦争においてどちらが良いとか悪いとかということは今置いておきますが、この時に、ペンタゴンの超優秀な、受験勉強の最高トップの将校達が、コーヒーを飲みながらコンピュータ画面をじっと見ながら、ボタンを押して、指令を出すのです。すさまじい爆弾が落とされて、建物や何かが吹っ飛んでいくのを、何の表情も変えずにいるのです。私はちょっと顔を背けました。1+1が2になるように、すごい算式を頭の中で計算して出しているというわけです。そうすると、確実に目的物を破壊することができるわけです。

 でも、この人達、想像力があるのでしょうか。敵であれ味方であれ、その大爆発によって、多くの人の体が吹き飛び、家庭が崩壊されるということの痛みと意味を考えて、計算をしてるのだろうかと、私はぞっとしました。人間のあらゆる営みには、意味があるのです。この事をやっているということが、どういう意味があるのか。この事をやることは、大きな社会の歯車の中に自分も歯車のような部品になって、動かしていく。

 これが良い就職先を探すことか、あるいは、出世することか、しかし、そんなことをとおして、人間の心を失っていくようなことがあったとしたらよいのだろうか、ということです。大学生の時代、高校生から大学生の時代に入る時には、自分がこれからやっていくこと、学ぶことがどういうことに繋がるかという意味を考えることがとても大事です。この意味を考える癖を持つ人は、仮に国家の命令、会社の命令、組織の命令があってもおかしいぞと思う人間の心を失わないことになるのではないでしょうか。そして、この意味を考える時に、ゴーギャンが私達に問いかけている、この「私達はどこから来て、どこへ行くか、私達はどういう存在なのか」を考えることができるスタートになります。